不登校~高校に失望~ | 遊びの恋愛☆本気の恋愛

不登校~高校に失望~

中学3年の2学期。冬休みに入る前の日。志望校最終決定の日。

私は高校に行きたくないと言い続けていたが私の2年の頃などの成績や委員会活動などの活動内容だと進学することを一番に薦められた。

それでも私は行きたくないの一点張りだったが,母親に高校に行けばバイトだって出来る,自分のやりたいことだって学校に行きながらだって見つけられるんだからどうか進学してくれ。

と,言われてしぶしぶ母親のために進学をOKしました。

私なんかが受かるはずないのに,,,受かってしまった商業の高校。

正直,高校に行くことが私の親孝行のつもりでした。


高校に入学してすぐに,奨学金というものを知りました。

私が担任にバイトをしたいと言ったことで,まずはバイトの申請よりも先に奨学金の申請のが先だと知らされました。奨学金の話をした後でバイトの申請が出来るとのことでした。

ママは最初から奨学金を受けるつもりだったので奨学金の申込書をママに書いてもらいました。

しかし,奨学金について,いろいろと面倒なことが起こりました,,,。

まず,奨学金の申込書には,ママの働き先,月給,ボーナス,そして子供の成績に部活。


私は部活を全くやる気がなかったのにそこの学校は全員部活に参加ということで無理矢理の部活でした。

私はドラムがやりたかったので吹奏楽部に入りました。

うちの学校の吹奏楽部とは,県でも上位のどこの部活よりも厳しい部活でした。

早朝練習にどの部活よりも遅く練習は終了。土日も部活。部活がない日なんて月に一回もありませんでした。そんな部活に入ってしまった私。

でも,そんな部活に入っていることが奨学金には良い方に得点を稼ぎました。

が,しかし。そんな奨学金の申込書を出した後,私は担任から耳を疑うような言葉を聞きました。

「奨学金が通ると,バイトはOKされない。奨学金をもらいながらのバイトは許されない」

そういわれたのです。それを聞いて私はすぐにでも奨学金のことはなかったことにしてほしいと言いました。

しかし,奨学金の申請を行わない限りバイトは申請できないからどっちみち同じ事なのだということを再び話され,私はどうすればいいのかと悩みました。

家に帰って母親にそのことを話すと,学校側の説明不足だと怒りをあらわにしていました。

しかし,どうすることもできない私たちは奨学金の合否を待つことしか出来ませんでした。

もし,奨学金が決定すればバイトは許されないけれど,奨学金申請から落とされた場合,再度今度はバイトの申請が出来るのだという考えを持ち,入学早々1年の中で一番目立つ非行少女であり,中学の時の成績も申請の時に見られるそうだったけどオール2という最低の成績だったので受かるはずはありませんでした。


もう受かるはずがないのだという思いが強くあったので合否の発表の時は自分の名前が呼ばれることはないだろうと思ってバイトの申請についていろいろ考えていました。

が,そんな気持ちで合否を待っていた私の元に出た答え。


                              合格。 


何よりも自分がこの場所に居ることに意味を感じなくなりました。

私はバイトをやりたいがために学校に入ったようなものだ。

それなのにバイトが出来ない。私は合格通知を聞いた瞬間次の時間の授業を放棄してママに電話しました。

「私。なんのために学校に居るのか分からない,,,なんで受かるの,意味わかんない,,,」

とめどなく流れる涙で,携帯を濡らしました。母親も困ったように,でも学校側の味方には付くことはなく,

「いいよ。もう。奨学金なんて1万も満たないくせに偉そうにそんなこといってんだったらさ,内緒でバイトしていいよ。もう私が許すから。だから授業に戻りな。ね?」

ママがそういってくれたことが何よりも私の気持ちをやわらげてくれました。


奨学金が受かった次の日。OBが放課後に集まって奨学金合格者の集まりみたいなのがあってサボろうとした時に先生達にひきとめられてしぶしぶ出ました。

そこではOBの人たちに感謝の言葉と学校に居る間の抱負を原稿に書いて述べるよう言われました。

なんでそこまでしなくちゃいけないのか私には全く理解しがたいものがありました。

1万円ごときに何を感謝するんだ。 私は学校がものすごく嫌いになりました。

しかも,毎年暑中見舞いと年賀状を出すように言われました。OB5人全員に出せというのです。

この学校はおかしいんじゃないのかと母親も私が話したことを聞いて言っていました。

校則も市内1厳しいし,まるで軍隊のような生活でした。

すべてがどん底におちたようなきがしました。ここでまた先生と学校いうものが嫌いになりました。

高校に入ってからというもの,授業放棄と授業妨害,行事の欠席,そして,学校を無断欠席が増えました。

母親に何も言わずに無断欠席をすることが多々ありました。

学校が遠いので雨が降った日は必ず学校を休みました。そんな高校生活でした。